COUNSEL 2013年12月号から

 

2013年12月の連合王国最高裁判所

ストラスクライドStrathclyde大学法学教授

発足以来4年、最高裁は相当な進化を遂げた。アラン・パターソンがその仕事ぶりを吟味し、その先駆者、貴族院上告委員会の仕事ぶりと対照させる

 

去る10月、連合王国最高裁判所は5年目に入った。2009年10月に発足して以来、裁判官の交代も進んでいる。新しい長官と次官の両隣には10名の最高裁判所判事が列席し、そのうち貴族院上告委員会につとめていた者はわずか3名に過ぎない。これは、上訴裁判所における定年制の導入の効果を表すもので、終身制をとる合州国連邦最高裁判所における判事の交代がずっと遅いことと、好対照をなす。しかし、連合王国最高裁は、発足以来初めて、これから約3年間にわたって現在の判事構成が持続する安定期に入ることとなる。判事構成の安定性は、例えば裁判所建物内部の判事室の隣接隔絶関係など(実際のところ、これまでの裁判所観察者が気に留める以上に上訴裁判所にとって地理的な位置関係は重要である)、誰も気も付かないような事柄だけでなく、誰もが気付く事柄、例えば単一の多数意見、反対意見、補足意見に対する態度などにも影響を及ぼす。端的にいえば、チームワークである。この点は、貴族院のビンガム時代から、大きく様変わりした。ビンガム時代の貴族院の知的重要性は、近年比類なきもので、それは構成判事個人個人の力量にかかっていた。これは、(当時や現在の)イングランドの控訴院と違って、貴族院が一つのチームとして共同作業を行うことは、最後の10年間においては、時々発生する程度の珍しい現象に過ぎなかったということを意味する。ビンガム卿とその同僚判事たちにとって判決の執筆、補足意見、反対意見は、おおむね、判事個人の好みの問題だった。

 

より同意形成的な意思決定

一方、最高裁判所の判決は、チームワークと集団的意思決定に大きく移行した。判事たちは個々の審理(ヒアリング)の前に集まり、ビンガム時代に比べて、審理後にもよく集まるようになった。昔は、貴族院判事同士、口頭で議論するのが常であったが、現在ではメールのやり取りにとってかわり、個々の判事は、裁判所の最終判断に影響を与える目的で、個別にそれぞれの意見を吟味するようになった。これは一つには、ビンガム時代と違って、最高裁が個別の事件について、できるだけ意見の数を少なく済まそうと努力してきたために派生した。2013年の上半期に最高裁に係属していた事件の55パーセントは単一の法廷意見で済んだが、この割合が達成されたのは1990年代初頭以来のことである。公表される意見の数は減ったが、それが全貌ではない。意見そのものは平均して長大化傾向にあり、そればかりか、草案も公表に至るまでに何度も書き直されるようになった。昔は、一旦、同僚に回覧した意見を考え直す貴族院判事は珍しかった。最高裁では、とくに指導的意見の執筆者の方が、個別の草案を読んで妥協したり、争われた部分を削除したりすることは、それほど珍しくはなくなっている。

より緊密に共同作業を行うことは、2011年に観察されたように、貴族院においてはピノシェト事件以来見られたことのなかったような、判事同士の公私両面における緊張関係を生む可能性もある。争いのある事件については、もっと内部で協議を重ねるべきだという説もあれば、それでは判事たちは折り合える点を探るよりも、まるで弁護人のように自己の意見を弁護してより強く主張するようになる危険があるという説もある。一つ明らかなことは、一つの意見ではまとまらない事件は今では半数以下に減っているが、最高裁判事たちは(これはビンガム時代に始まったことであるが)判事室の外のより広い法律にかかわる人たちの利益のために、合意できるところとできないところをはっきりさせるために、互いに違う意見を突き合わせることに意義を見出していることである。

 

拡大法廷の増加

拡大法廷を組織すると、集団的意思決定やチームワークはより困難になり、長官の苦労も増える。この点も、貴族院との大きな相違点である。2000年から2009年にかけて、貴族院が拡大法廷を組織したのは13回に過ぎない。最高裁は2009年10月から2013年9月までの間に拡大法廷を組織したのは56回に上る。この劇的な変化は、一つには、貴族院の建物では拡大法廷を組織するための空間が不足していたという問題を、新しい最高裁判所の建物ではそのための空間を確保することで克服したことによる。また、フィリップス卿と複数の同僚判事が考えたように、わずかな人数差で勝敗が分かれた貴族院判決は、そもそもどの判事が担当になるかの段階で決まっていたことがあまりにも多過ぎたという問題の解決のためでもあった。このポイントは、最高裁に関して時折指摘されてきたように、全員法廷を開くべきではないかという議論につながる。手短に答えると、法廷は全員法廷を快適に開廷できるほど広くはなく、最高裁と枢密院の裁くべき仕事量から考えても全員法廷の開廷を日常化するのは困難である。また、そうしたところで、フィリップス卿の謎も解かれない。というのは、最高裁判事の人事システムは、司法哲学の多様化よりもそれ以外の多様化に取り組んでいるからである。興味深いことに拡大法廷の頻度は低くなっていて、これはおそらくは一時的な現象かもしれないが、今半期の事件をよく調べてみると、拡大法廷が予定されているのは2件で、これは統計上平均的な一半期の大法廷件数の半分以下である。これが偶然なのか、それとも最高裁が拡大法廷の望ましい頻度について再考したという兆候なのかは、興味深いところである(このポイントについてA. Burrows, ‘Numbers Sitting in the Supreme Court’ (2013) 129 LQR 305参照)。

 

事件の多様化

今半期の最初の拡大法廷は、自由の剥奪に関する人権条約5条の事件で興味を掻き立てるが、精神病事件の3つの上訴の1つで、最高裁のこれまでの4年間に係属したのと同じ数の上訴が一半期に係属している。もう一つは、近年珍しく控訴院が上告を認めた事件である。これは探究ジャーナリストによる情報の自由に関する上告事件で、最高裁は人権条約10条に関するシュガー対BBC事件最高裁判決(Sugar v BBC [2012] UKSC 4)を再考することになろう。しかし、この他にも裁判所の観察者が上告を予測する不可思議な事件がある、例えば、HS2というキリスト教徒のホテル所有者が世俗結婚をした同性愛夫婦の宿泊を拒絶したことに対する訴訟、夫婦がそれぞれ遺言を用意し間違ってそれぞれの相手方の遺言に署名した事件、そしてヨルダン川西岸の被占領地の店が「イスラエル産」と表示して商品を売っていることで消費者保護立法に違反していると訴えられている事件がある。これらに割って入るのは節税対策、秘密の証拠2件、越境物流を利用した消費税還付詐欺、観光客の来ない雷鳥の湿原、ウェールズ議会から法務総裁の2件目の付託事件などなど、みなさんの好みにあった品々がそろっています。40年前は、頂点に立つ裁判所は主に刑事、税法、商事事件に焦点を当てていた。最高裁にとっても民商事事件は従来通り重要であるが、刑事事件と租税事件は目減りし、公法と人権法事件が全体の40パーセントを占めるようになった。こうして今半期、内務省の事件は事欠かない。入国管理庇護請求事件が3件(うち2件は欧州人権条約8条の事件)あり、内務大臣の忌み嫌う入国管理庇護請求事件は、フォークナー元大法官が最高裁創設当時に予見した通り、そしてビンガム卿が異議を唱えたように、貴族院以上に、実にビンガム卿以上に、最高裁が執行部に対して強硬姿勢をとり続けている面白い分野である。しかし、最高裁で反転する事件のうち、人権条約8条に依拠している事件はとても少ないことを知れば、内務大臣も驚くだろう。ともかく、面白い一半期になることは間違いない。

 

著者:Alan Paterson(アラン・パターソン)Final Judgment: The Last Law Lords and the Supreme Court(『最終判断:最後の貴族院判事と最高裁判所』)は、40名を超える元貴族院判事と最高裁判事に対するインタビューに基づき、オックスフォードのHart Publishingから2013年12月9日に出版された。

 

写真の説明

1.R v Islam [2009] UKHL 30、ホウプ卿が委員長(次席貴族院判事でウォーカー卿、ヘイル卿、マンス卿とニューバーガー卿が陪席に並ぶ)。この事件は、貴族院の第1委員会室で審理され、弁護士は判事と同じ高さの固定書見台の前で起立している。慣習で判事たちはかつらも法服もつけていないが、法廷弁護士は法服と小さなかつらをつけている。

 

2.R v Gomes [2009] UKHL 21、貴族院の本会議場での審理。1948年に委員会室にうつるまでは、あらゆる心理が本会議場で行われてきた。この写真は、2009年2月16日から18日にかけての審理で、出席貴族院判事はフィリップス卿(首席貴族院判事)、ロジャー卿、ブラウン卿(写真外)、マンス卿、ニューバーガー卿である。この事件は本会議場で審理されたので、通常の裁判所の内装とは逆さまに、弁護士が肩までかかる大型のかつらをかぶり、裁判官席を見下ろす一段高く狭苦しい台の上で起立しなければならない。

 

3と4は2013年秋半期の最高裁判所の1号法廷の写真である。写っているのは判事7名から構成される法廷(貴族院の委員会室とは異なり、拡大法廷が着席できるように設計されている)である。2012年に導入された変化で、出席弁護士全員の了解を条件に、この事件では全員がかつらと法服なしで出席している。判事は、ニューバーガー卿、ヘイル卿、マンス卿、カー卿、サンプション卿、リード卿、カーンワス卿である。