2013年の日本の民法判例について雑感

1.大阪高判平成24.10.25損害賠償請求控訴事件〔一部取消、棄却(上告・上告受理申立)〕(判時2175号23頁)(2012年の末川民事法研究会判例回顧の総則67、債権92、不法行為145の控訴審で、2013年の末川民事法研究会判例回顧の総則54)

受刑者Xが、刑務官らから革手錠で締め上げられる等の暴行を受け障害を負ったことについてのY(国)に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権について、Yの消滅時効の援用が権利の濫用あるいは信義則違反に当たるとは言えないとして、Xの請求を棄却した事案。  大阪地裁は、損害賠償請求権の消滅時効の起算点はXが刑務所を出所した日であり、本件訴え提起までに消滅時効は完成していないとして、Xの請求を一部認めた。  これに対し、大阪高裁は、安全配慮義務違反に基づく請求権は一般債権ついて10年の時効期間に服するとした上で、「受刑者によって刑務所職員からの報復を恐れるか否かに差異がある状況で、権利行使の始期について個別に差を設けるということは、特段の事情のない限り、法は予定していない」として、Xが急性腎不全と診断された日である平成10年4月24日が起算点であり、本件訴訟を提起した平成22年3月23日には時効により消滅しているとした。また、出所後Xが権利行使しなかったことについてYは関与しておらず、Yが消滅時効の援用をしても権利の濫用あるいは信義則違反であると解することはできないとした。

これについて、K教授は、日本において国を被告とする訴訟における裁判官の中立性に疑問を持ち、裁判官人事制度の在り方、運用の在り方などから総合して判断して、裁判官は国家公務員として被告人(国、使用者)との間で利益相反があるのではないか?という疑問を呈す。

比較法は、この種の疑問にも合理的な根拠のあることを教えてくれる。例えばイングランド・ウェールズ法域においては、上記の事実関係であれば、時効の争点を別にすれば、裁判官ではなく、陪審員が裁くことになるからだ。たしかに、イングランド・ウェールズ法域には合州国憲法第七修正(民事陪審)にあたる上位規範はなく、戦間期において民事陪審は原則的に廃止されたといって過言ではないだろう。しかし、例外が4つあり、1つは詐欺、もう1つは名誉棄損、そして残りの2つは警察や獄吏の犯しやすい不法監禁(false imprisonment)や悪意訴追(malicious prosecution)という不法行為の類型(torts)においては、民事陪審が維持されている(Senior Courts Act 1981, s. 69: County Courts Act 1984, s. 66)。本件は、刑務官が受刑者Xを革手錠で締め上げる等の暴行を働いたという原告の主張からすると、明確に不法監禁(身体的自由を奪うことで、閉鎖的空間に閉じ込めることを要せず、正当な理由なくあるいは必要以上に革手錠で締め上げる行為は身体的自由の剥奪に該当する)と暴行(battery)が主張されているので、陪審裁判に付さなければならない。さらに、公務員の恣意的、抑圧的、または違憲行為には、懲罰的損害賠償の請求が可能なので(Rookes v Barnard [1964] AC 1129, 1225)、本件のような刑務官の恣意的で抑圧的な行為は、陪審員がこれを罰することができるのだ。イングランドの法律委員会は、警察や公務員の犯罪を、同じ警察が取り締まり、王冠訴追局らの訴追当局が刑事訴追するということについては、市民の視点からは決して「公正さ」が確保されるとは思われないので、民事罰の積極的意義を肯定する、という立場である(Law Commission Report No. 247, (1997) para. 5. 22)。

なお、イングランドで同一事実関係の事件が起こった場合に、誰が被告となり、訴訟原因は故意の不法監禁および暴行でよいのか、という疑問があろうかと思われるが、まず被告としては、司法大臣(旧内務大臣)が獄吏の使用者として代位責任を負い、本件の事案では、被用者である獄吏の行為が「雇用」の文脈から逸れていると判断することは困難に思われる。次に、司法大臣の責任は、代位責任ではなく、監獄の安全配慮義務違反、つまり過失責任ではないかという点は、イングランド法の構成としては、時効が3年と短い過失人身傷害(Limitation Act 1980, s. 11 (1))よりも、時効が6年ある故意の不法監禁および暴行の代位責任を問う方が有利であると答えられる。こうみると、かつてデブリン卿が述べた陪審裁判のメリットということにもつながるだろう。つまり陪審員は裁判官の質を担保するという点である(Patric Devlin, Trial by Jury, London: Stevens and Son, 1956, pp. 158-9)。

ただし、本件の日本での争点は、時効の起算点であり、それは、暴行時またはそれが請求の原因となりうることを知り得たはずの日ということになる。大阪地裁では、それは刑務官の報復の強迫観念から解放された出訴日との判断が出たのに対し、大阪高裁では、急性腎不全の診断を得て、実害を客観的に知り得た日という判断になったと思われる。被告(国)による時効の援用が権利の濫用ないし信義則違反だという論点も、基本的に、時効援用に密接に関連している。 この点は、イングランド法では訴訟原因の発生時期の問題と捉えることができ、これは裁判官の法律問題に属し、陪審員の事実問題ではない。つまり、陪審員ではなく、裁判官が専属で管轄する問題である。ただし、本件の事案をよく見ると、そう紋切型に割り切れない点が存在する。すなわち、日本の事件に立ち返って大阪地裁と大阪高裁の判断の違いを呼んだものは何だったのか考えてみると、それは原告が自己の私権を実際に自由に行使できるようになった日が時効の起算点になるのか、それとも実害の発生を客観的に知り得た日になるのか、ということになろう。後者の立場は、つまり、そのときに原告が自己の私権を自由に行使できる状況にあったかどうかは不問という立場である。そして、K教授の批判は、後者の立場をとった大阪高裁の当事者に対する中立性に向けられている。

この点、イングランド法がどう考えるかであるが、まず不法監禁と暴行の不法行為の成立について、後遺症発生等の必要性はないので、時効は、不法監禁と暴行の瞬間に起算され始める。しかし、原告が獄吏による更なる不法行為ないし犯罪を恐れるあまり、かりに自己の私権を認識すべき客観的状況は発生していたとしても、それを現実には行使できない状態におかれていたという訴えそのものが、懲罰的損害賠償の請求を正当化する公務員の恣意的、抑圧的、違憲行為を示唆しており、この部分の訴えも陪審員の判断に任せるのが相当という判断になるだろうと思われる。

  1. 英国における公権力行使の私法的制御について』(査読論文)、比較法研究67号2005年218-242頁