George Alexander Louis Windsor, Prince of Cambridge

ジョージは、1707年のイングランドとスコットランドの合邦により成立した大ブリテン連合王国において最初に発生した1714年8月1日(ユリウス暦)の王位継承で王位についたドイツのハノーバー選帝侯ゲオルグの英語名である。ジョージ一世の名前は母国語でゲオルグ・ルートヴィヒGeorg Ludwig、英語表記でジョージ・ルイスGeorge Louisであった。

2013年7月22日にケンブリッジ公ウィリアムとキャサリン妃の間に生まれたジョージ・アレクサンダー・ルイスは、このジョージ一世の名前を二つもらっているのである。

ジョージは、実は、白地に赤十字のイングランド国旗にもなっているイングランドの守護聖人、聖ジョージの名前である。悪魔の使いドラゴンを騎乗から槍でしとめる姿でも知られる。

連合王国にとって外国君主にあたるハノーバー選帝侯家の君主が歴代ジョージを名乗ったのは、イングランドの守護聖人の名前であったことを強く意識してきたからだと思われる。実際、ジョージ一世の母方の祖母は、イングランド王ジェイムズ一世の王女であったが、夫プファルツ選帝侯が、1618年にボヘミアのプロテスタント一揆の結果ボヘミア王に担がれて、カトリックの神聖ローマ皇帝と対立しドイツ三十年戦争の緒戦を戦って敗退し、オランダに亡命した苦い経験を持つ。
そしてその子孫として連合王国の王位を継承したジョージ一世ジョージ二世は、名誉革命でフランスに亡命しルイ14世の支持を得たカトリック信者ジェイムズ二世の子孫と、アイルランドやスコットランドで王位継承戦争を戦い、「プロテスタント」王国を守った。ハノーバー朝は、ジョージ一世の長男、ジョージ二世、その孫、ジョージ三世、その長男、ジョージ四世と最初の四代の王はすべてジョージで、実は、ジョージ二世の長生きのために王位につけなかった太子ウェールズ君ジョージを含めると、五世代にわたりジョージが継承するはずだった。もっとも、ジョージ四世の後は弟のウィリアム四世、その後は姪のヴィクトリアが王位継承した。

ただヴィクトリア女王の後、夫のアルバート公の実家、サックス・コブルク・ゴータ朝にかわり、エドワード七世、ジョージ五世、エドワード八世と長子相続が続き、サックス・コブルク・ゴータ朝(第一次世界大戦でウィンザー家に改名)はどちらかというと、ノルマン人の征服前の、ノルマンディー公ウィリアムの母方のいとこであったエドワード懺悔王(Edward the Confessor)の名前を好んだようにみえる。しかし、エドワード八世の議会の承認を得られない結婚と退位により、弟のアルバート・フレデリック・アーサー・ジョージが異例にも四つ目の名前をとってジョージ六世として王位継承し、その結果、思いがけず王位を継承したのが現在のエリザベス二世である。

エリザベス女王が、長男をチャールズと名付けたのは、色々な意味でしきたり破りであった。まずチャールズ一世が即位後にカトリックのフランス王女と結婚して内乱(The Civil War~日本では米仏市民革命史観の影響かピューリタン革命として知られる)を招いて殺され、その長男チャールズ二世も臨終の床で母の宗教カトリックに改宗したりして、ヘンリー八世とエリザベス一世のつくったイングランドのプロテスタント王国としての「国体」に対する挑戦を象徴するような名前だからである。

このまま王位継承が順調にすすめば、王朝は、エリザベス女王の旦那さんのエディンバラ公フィリップのシュレスヴィヒ・ホルシュタイン・ゾンダーブルグ・グリュックスブルグSchleswig-Holstein-Sonderburg-Gluecksburg家に交替し、チャールズ三世、ウィリアム五世、ジョージ七世と続くことになる。

2012年4月29日のウィリアム王子とキャサリンの結婚後、史上はじめての男女平等の第一子王位継承と、名誉革命以来のカトリック信者と結婚した者の王位禁止の廃止は、エリザベス女王を元首と仰ぐ英連邦諸国首相会議の了承をえて、2013年4月25日の王位継承法(Succession to the Crown Act 2013)で正式な連合王国の立法となった。自分たちの結婚を機に制定されたこのプロテスタント王国としての「国体」にかかわる変法を踏まえて、ウィリアム王子とキャサリンは、第一子に王女ではなく王子を生み、「ジョージ」と命名することで、2013年法の革命的な効果をひとまず一世代、先送りしたといえる。お父さんのチャールズという「国体に挑戦的」な名前のことも考えて、「ジョージ」の方が無難と思った点もあるかもしれない。

ちなみに、ルイスは、ジョージ一世の名前だけではない。ウィリアム王子のおじいさん、エジンバラ公の母方の叔父、バッテンベルク家(第一次世界大戦で英語風にマウントバッテンに改名)のルイス、つまり第二次世界大戦中の連合国軍インド戦線最高司令官マウントバッテン卿の名前でもある。