カントの永久平和条約の哲学的草案関係の諸論考とマイケル・ドイルの自由主義と世界政治

テキスト


Reiss, H. S. ed (1970), Kant Political Writings, Cambridge: Cambridge
University Press
Doyle, M. W (1986) ‘Liberalism and World Politics’, American Political
Science Review, Vol. 80, pp. 1151-1169
幡新大実(2013)『イギリス憲法Ⅰ 憲政』東信堂

カントの永久平和構想

世界市民的目的をもった人類史のイデアについて』や『永遠平和の為に』(永
久平和条約の哲学的草案)
や『道徳形而上学』前編『法論』などに描かれたカ
ントの永久平和構想は、批判哲学で知られるカントの専門外の「お遊び」など
ではない。それは『純粋理性批判』において明示されたところの、個人の自由
が他人の自由と共存できる形で最大化されるような国制の樹立という、カント
の批判哲学の窮極の応用命題についての論考であった。
この命題は、実は、プ ラトンの『国家論』や『法律論』そしてアリストテレスの『政治学=国制学』
の古典的テーマを継承し、カント的な意味で理想的な国制である「共
和制」(politeia, res publica)を、古代都市国家を近代国民国家に置き換えた文
脈で捉え直して、再解釈したという意味において、極めて正統的な哲学論考と
して位置付けられる。

なお、アリストテレス的な古典的な意味における「共和制」(ポリティア)と
は「衆愚制」(デモクラティア)の対語であり、「立憲政体」、「市民国家制」な
ど様々な訳語が考えられる。
衆愚制とは腐敗堕落した多数者支配の国制、すな
わち多数者が少数者や全体の利益を犠牲にして自らの利益だけを追求する国制
を指し、これに対する「共和制」は平等である市民の中から順番で選ばれた指
導者が市民団全体の利益のために統治する国制である。これがアリストテレス
的な共和制であり、君主制(単独者が国全体の利益のために統治する)と貴族制(少
数者が国全体の利益のために統治する)と共和制の良い所取りの「混合国制」もまた
共和制」と呼ばれる(日本語の共和制の本来の意義は君主と貴族と庶民の共和)。
は、「共和制」(ラテン語系)は「立憲制」(ギリシャ語系)と同義であるため、そ
の混合度の度合いにより、「立憲君主制」や「立憲貴族制」という表現も可能と
なる。ちなみに君主制の腐敗堕落した形は専制(僭主制)または独裁制(単独者
が自己の利益のために全体を搾取する)、貴族制の腐敗堕落した形は寡頭制(少数者
が自己の利益のために全体を搾取する)という。以上の古典的用語法は、デモクラシ
ーを腐敗堕落した悪い国制、衆愚制と見なすところで現代アメリカ流の政治学
とは異なるが、カントの主張の理解のために必須であるし、例えば近現代日本
の国制を批判的に評価するときにも、有益である。

カントの『永久平和条約の哲学的草案』と関連論考は、宇宙の森羅万象を司
る法則を発見する自然科学・物理学(physics)に対し、人間の行動を規律する
法則を発見する広い意味での規範的社会科学・倫理学(ethics)の学問分野を確
定するという意義を持つ知的活動であったと位置づけられる。

カントの打ち立てた規範的社会科学は、古典的な国制学(政治学)の範疇を
超えて、個人の自由の最大化のために、国制(憲法・立憲主義)的保障の必要
性だけでなく、国家間関係の平和の保障の必要性、および一国の個人の他国の
個人に対する国境を越えた通商・通信の申込みの自由すなわち世界市民権の制
限の必要性を認めた点が、高く評価される。

永久平和条約の哲学的草案』の先駆的作品としては、1713 年のユトレヒト
の和約、すなわちスペイン継承戦争における英仏単独講和条約(名前は「イギリ
ス女王アンとフランス王ルイ14 世の間の世界的永久平和条約」)のフランス側全権であ
ったサン・ピエール神父がユトレヒト(オランダ語でウトレヒト)において発表し
た「欧州永久平和条約草案」とその中で展開された「欧州連合案」があり、ジ
ャン・ジャック・ルソーが同構想について論説を加えたことが、カントの思考
を刺激した。実は、カントの永久平和構想の鍵となるアイデアは社会契約説で
あり、カントはこの点で、自然状態は、ルソーではなく、プラトン的(正確には
国家論』に登場しソクラテスと対話するプラトンの長兄、グラウコン的)でホッブス的
な、万人の万人に対する闘争と認識している。カントは、国際関係の現状がこ
の意味での自然状態にあると認識して、各国が法人として互いの契約、すなわ
ち世界的な永久平和条約を締結することで、自然状態を脱して世界平和を保障
する法治状態に移行することができると考えた。そのような世界的永久平和条
約のカント流の哲学的草案が、『永遠平和のために』という訳名で著名となった
論考なのである。カントは、この国際的な社会契約(=永久平和条約)が、ホ
ッブスのリヴァイアサンのような専制独裁権力を国際関係において創出ないし
正当化することを嫌い、つまり世界帝国や世界総統の出現を嫌い、そうではな
く、むしろ個人の自由を国際的にも保障するために、共和制の自由諸国が、自
由諸国同士の緩やかな結束、国家連合を形成することによって国際社会の法治
状態(国際法=諸国の権利)を保障するシステムを提言したのである。

同時に、カントは、個人の自由の必然的な延長として、一国の個人が、国境
を越えて、他国の個人と商売したり通信したりする自由、すなわち「世界市民
権」を認めている。ただし、カントは、その世界市民権が世界最大公約数的な
入国条件(universal hospitality)により制限されるべきことを強く主張してい
る。それは、世界各国が他国の言語的、宗教的な違い、多様性を維持する自由
を最大限に尊重するための限定なのである。どういうことかというと、カント
が説明している通り、カントの時代、ヨーロッパの列強はアフリカ、アメリカ、

アジアの各国を侵略し、原住民を奴隷にし、専制的な植民地支配を世界的に拡
大していた。カントは他人の自由を犠牲にして自らの自由だけを伸長すること、
他人の人格を目的として尊重せず、自らの自由の拡大の道具にすることに、倫
理的・規範的に反対していたので、ヨーロッパ人の植民地専制支配を世界市民
権の濫用と受けとめて、当時の日本や清国が鎖国によって自らの独自の言語や
宗教や文化を守ろうとしていたことに一定の正当性を見出して、世界市民権は
「世界共通の」(universal)つまり必要最小限の「入国」(hospitality)条件の
限度に制限されるべきだと主張したのである。これは、ドイルの議論、とくに
カントにもあるとされるシュンピーター的な自由平和主義の論理とはかなり違
う考え方である。

以上のところは、『永久平和条約の哲学的草案』の第2 章、永久平和条約の確
定条項3 ヵ条に非常に簡潔にまとめられている。
永久平和条約の哲学的草案』は全体として第1 章予備条項6 ヵ条、第2 章
確定条項3 ヵ条の他、2つの付記、2つの別紙からなる。第1 章と第2 章の各
条には長い注釈がつけられており、形式的にも体裁的にも法律草案(条約草案)
の形をとっている。

予備条項6 ヵ条は、確定条項3 ヵ条の前に置かれているが、おそらく、カン
トは、確定条項から先に考えたと思われる。理由は、社会契約説の国際関係へ
の適用という文脈からはそれていて、内容の具体性も比較的高いからである。
第1 条「将来の戦争の種を留保したような講和条約は有効とはみなされない」、
第2 条「独立国は大小を問わず相続、交換、売買、贈与の方法で他国に取得さ
れてはならない」=「独立国は大小を問わず他国の私有財産として扱われては
ならない」、第3 条「常備軍はそのうちに全廃されるべし」、第4 条「国債は国
の外交に関連して起債されてはならない」、第5 条「国は他国の国制や政体に対
して力づくで干渉してはならない」、第6 条「交戦国は将来の平時における相互
信頼関係を不可能にするような敵対行動を許容してはならず、それは例えば暗
殺、毒殺、協定違反、敵国内における反乱誘発などの敵対行為を含む」である。

第1 条の現代的影響として、第一次世界大戦がサラエボというヨーロッパの
辺境からヨーロッパ全土を巻き込む大戦に発展した謎を「秘密条約」のせいに
する見解があり、イギリスではその反省から、トルコとの講和条約に即して、
内容を事前に議会に公開して審理すべきポンソンビー・ルールという慣行が成
立した。

第2 条は、相続、交換、売買、贈与などの「民法」用語の意味するところを
捉えれば分かり易い。ちなみに日本語では王位継承、王位に本来附属するもの
として国家継承とはいっても相続とは言わないが、カントの時代に近いヨーロ
ッパの戦争、プファルツ継承戦争、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争

などは、要するに一種の家元の跡目争いのような相続争いで、王位等に附属す
る領地領民の支配権の相続争いであったと捉えることができる。カントは、領
土と領民は、君主の私有財産ではない、と主張しているのである。現代的教訓
として、国連総会は、イギリスの旧国際聯盟委任統治領パレスチナの分割を勧
告したが、これは信託財産を受益者のためにという名目で分割する財産法上の
措置で、今に続くアラブ・イスラエル戦争の起源となっている。

第3 条の先例として、例えばイギリスの名誉革命後の『権利の章典』第六条
「王国内で平時に常備軍を徴集維持することは議会の承認がない限り違法であ
る」、同第七条「プロテスタントである臣民はその地位にふさわしい防衛のため
に法が許容する範囲で武装することができる」は、君主の常備軍を原則違法と
し、人民の武装を原則合法とし、どちらにも議会立法で制限をかける共和制
な軍備制御の方法を開発していた。これは専制君主化したジェイムズ二世の後
にカトリック王朝が続くことを実力で止めた名誉革命体制の軍事的側面をよく
表す規定であるが、カントの常備軍の全廃と民兵の許容と基本的な法的立場が
似ている。この常備軍全廃の文脈に日本国憲法第9 条を位置付ける見方もある
かもしれないが、文面が似ているだけで文脈は全然別物である。なぜならカン
トの永久平和条約哲学的草案の予備条項第3 条は、あくまでも予備条項で、確
定条項の準備段階の措置である。確定条項においては、共和制諸国のゆるやか
で平和的な国家連合が、国際社会の法治状態を保障することになっている。
れに対して、第二次世界大戦における共和的アメリカ軍による専制的な大日本
帝国陸海軍の永久的武装解除と、国際連合軍を前提とした敗戦国・被占領国日
本の憲法的、国制的永久武装禁止は、趣旨が異なる。幡新説は、日本国憲法9
条は、中国との戦争さえおさまらないのにアメリカと戦争をして負けた国、つ
まり正常な判断力を欠く国、日本に対する禁治産ならぬ禁治軍処分であり、日
米安全保障条約は、その禁治軍国に対する成年後見制度であると見る。分かり
易くいえば、「気違いに刃物」、日本という気違いの国自身の身の安全のために
刃物を持たせること=軍備を禁止するのがマッカーサーの趣旨で、日米安保と
は、アメリカ軍が日本という国と国民を周辺各国とともに日本の正常な判断の
できない気違い政府から永久に保護する趣旨である。マッカーサーの日本非武
装化の真意
は、日本人は自制心がなく自ら統治できない気違い民族なので、永
久的にアメリカの保護を受けることが日本人の最善の利益になるという人種主
義的な軽蔑と対日植民地支配の野心である。日本国民の間に根強い憲法九条擁
護論は、実は、根強い政府不信、国家不信のあらわれでもある。このように情
けない日本の実情は、カントが理想とするような、独立し、自制心が効き、他
共和制(立憲主義)諸国とともに世界平和を維持すべき国家連合を形成する
ような一人前の責任ある大人の共和制国家とはあまりにも程遠いので、日本国

憲法第九条は、カントのいう常備軍全廃条項とは、似て非なるもので、真逆で
あるといっても過言ではない。

第4 条は、日本が巨額の戦時国債をもって日露戦争をまかなったことを想起
させる。日本は、その結果、実際には、債権国イギリスがその気になりさえす
れば簡単に日本を植民地にできたほどの巨額の負債を抱え、その意味で国の存
亡の危機に陥っていたのである。日本は、当時、大英帝国の非公式の自治領と
云われていたのに、頭に乗って、ついに対米英開戦の狂気に至った。

第5 条は、これはウィルソンの14ヵ条、国際聯盟規約国際連合憲章の原
則ともなっている。
第6 条は、イギリスで、第二次世界大戦中、ヒトラー暗殺計画が何度か議論
されながら、結局、チャーチル戦時内閣が採用しなかったことと通じる。これ
は国際法の父ユーゴ・グロチウスが『戦争と平和の法』の中で暗殺という手段
も戦争をとめるために有効ならば可としていることと対置される道徳的な立場
である。広島、長崎の非戦闘員の放射能による毒殺について、やはり「私は戦
争を続けたくなった」という広島の被爆少女の生生しい証言に象徴されるよう
に、カントの指摘は本質をついているといえるだろう。そういう文脈では、カ
ントは戦時国際法から国際人道法への転換について、一早くその道徳的必要性
を説いていたといえるだろう。


国際聯盟規約国際連合憲章

国際聯盟規約の方が、法的にいえば、国際連合よりもはるかに自然法ないし
伝統的な国際法に忠実で、かつ現実的であったことは、国際連合憲章上の国際
連合軍、つまり安全保障理事会と加盟国の間の特別協定をもって加盟国に空軍
割当部隊を「常備」させて、国際連合の軍事行動の用に供させる方式がこれま
で一度も採用されたことがなく、現実には、朝鮮国連軍であれ、クウェート解
放多国籍軍であれ、国際聯盟規約の規定で十分に可能であった加盟国が任意に
提供する軍隊による国際法を回復するための戦争しか実現されていないことを
みれば自明であろう。いわゆる平和維持活動も、名前を別にして、当事国の同
意を得て実施される任意的(非強制的)軍事活動である点で、国際聯盟時代に
その先例は沢山見出される。何よりも、国際聯盟が全会一致制であったために
機能不全に陥ったというのは、聯盟規約に照らしてみて、完全な曲解であり事
実の悪質な歪曲である。国際聯盟規約は、全会一致といっても紛争当事国の投
票権は認めておらず、それは「何人も自らの事件において裁判官たるを得ず」
(nemo judex in causa sua)というアリストテレス国制学』に起源をもつ法
諺(法格言)に照らして、安全保障理事会の常任理事国にたとえそれが紛争当
事国であっても拒否権という特権を与えている国際連合憲章よりも、はるかに

自然法、自然的正義の要請に忠実であったといえるのである。国際連合という
組織は、第二次世界大戦中の連合国が、ポーランド侵略の廉で国際聯盟から追
放処分をうけた犯罪国家ソ連を宥和する目的で、これに拒否権をもつ常任理事
国の地位を与えたとんでもない国際組織であって、その意味において、日本、
ドイツ、イタリアによる国際聯盟規約違反を懲罰して国際社会の正義と法治状
態を回復すべき要請を自らかなぐり捨てて、「力は正義なり」(might is right)
という枢軸国なみの野蛮な主張に法的根拠を与えて世界支配の道具とする誤っ
た国際組織なのである。すなわち、戦後の教科書が指摘する国際聯盟の欠陥は、
いずれも、国際聯盟に加盟しなかったアメリカ独自の事実を歪曲した身勝手な
見解に過ぎず、そのような見解が無批判に教科書に堂々と掲載されている国は、
とても独立国とはいえない。

それだけではない。カントの主張する国際平和を維持するための共和制諸国
家のゆるやかな国家連合というのは、強制力を安保理に与えている国際連合よ
りも、あくまでも国家主権を前提とし、その任意の協調を基礎とした集団安全
保障制度を確立した国際聯盟の方に近いのである。カントの永久平和構想の立
場からすれば、アメリカ軍の作成した「国際連合軍が守ってやるから日本のよ
うな気違い国家に軍隊はいらない」という保護国憲法はできず、むしろ日本を
責任ある共和制=立憲主義国家として再建して、国際社会の法治状態の維持に
独自の貢献のできる独立した国制を築くという大人の方針が生まれてきたはず
だと思われる。

自由民主党や自衛隊が今に至るまで重度の自閉症を患い、市民社会から遊離
した気違いじみた改憲案しか出せず、日本国に対する主権制限=憲法的な禁治
産ならぬ禁治軍処分の継続を今日でも正当化するみっともない症例と化してい
るのは、イギリス人に言わせれば、反乱植民地(rebel colonies)の二流の軍司
令官の恣意的で専制主義的なやり過ぎの感情的な反動なのである。
この非理性的な反動は、各国軍が国際法上の犯罪を取り締る警察機能を果た
すようになるべき、つまり国際社会の法治状態を維持促進する警察部隊に転換
すべき要請、そしてそれはカントのいう共和制国家の平和のためのゆるやかな
国家連合における平和維持の唯一合理的な方法論と考えられるが、その視点か
ら見て、大きな足かせ、障害物となっている。

また、カントの主張する世界市民権に対する世界共通の入国条件による制限
からは、ドイルの主張するような自由貿易の伸長ではなく、例えば地球環境・
生態系や絶滅危惧種そして各国の土着の伝統的経済システムの保全という視点
からの無制限で破壊的な自由貿易の制限に理性的・科学的な根拠を与え、具体
的にいえば、環太平洋連携協定(Trans-Pacific Partnership)ではなく、むし
ろ各国の第一次産業等を守る貿易制限の正当性が認められるであろう。


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カントと国際関係