Shoichi Yokoi, the Japanese soldier who held out in Guam

以下は2012年1月24日に実際に放送されたBBCラジオ4の番組です。音声再生(MP3)できます↓。


http://www.bbc.co.uk/news/magazine-16681636


Private Yokoi's War and Life on Guam, Global Oriental

Private Yokoi’s War and Life on Guam 1944-1972, Global Oriental, 2009

Omi Hatashin and Shoichi Yokoi January 1974

Shoichi Yokoi and Omi Hatashin, January 1974

2012年1月24日は、1972年同日にグアム島で横井庄一さんが発見されて、40周年記念だった。
私は、あまり意識していなかったが、その2週間くらい前に突然BBCラジオ4のMike Lanchinさんからメールが来て、電話をしてみると、Witness(歴史の生き証人)プログラムに出て欲しいので、横井さんの写真や音声テープなどがあればありがたいということになった。
それで急遽、名古屋の横井庄一記念館に寄って写真や音声テープを借りて、新幹線でBBCの東京スタジオへ行って、ロンドンからインタビューを受けた。
BBCの東京スタジオにはなんと常勤スタッフは全員出払っていて、臨時に原田さんという女性が手伝ってくれたが、当初、カセットテープ・レコーダーが動かず、あと15分でロンドンから電話がかってインタビューが始まるという時間だったので、原田さんに同じビルの中にいくつか放送局が入っているようだから、使えるテープレコーダーを借りてきてもらった。
冷や汗をかいたが、何とか時間に間に合い、インタビューは、予定を大幅に上回って、2時間を超えた。
これは、私があまり上手に受け答えできなかった証拠なのだと思うが、だいぶあとで、カナダで教鞭をとっている竹井さんから「普通にしゃべっていた」と言われて、少し安心した。BBCは本当に上手に編集してくれたと思う。ここでアップロードするのは、かなり恥ずかしい。
インタビューの経緯は以下の通り。
横井さんはどのように発見されたのか?
横井さんは、ハイビスカスの木の皮からとった繊維で織った服を着て、ハイビスカスの繊維で作った袋をもって、夕方、竹藪の隠れ家から出て、川にしかけた竹で編んだウナギ捕りの籠をこっそり回収にいって、いつもは足跡が残らないように川の中を歩いて隠れ家に帰るのだが、その日だけは何故か近道をして、人間の背丈を超える背の高いカヤの草原を横切ってみたところ、草原の出口でバッタリと現地の漁師たちに遭遇した、ということを話した。実は、猟師たちも、偶然、その日、村の迷子を捜しているところで、カヤの草原で風もないのにカヤが揺れているのを見て、迷子を発見したと思って救出に急行した、ということを話そうと思っていたのだが、すぐに次の質問が来てしまった。
横井さんはどう思ったのか?
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓で、捕虜になることは日本兵にとって最大の屈辱だったので、横井さんは、猟師たちに「殺してくれ」と頼んだ、ということを説明したつもりだが、please kill meというのが、あまり上手に発音されていない。
BBCは、ここで1944年7月の米軍のマリアナ諸島上陸作戦を音響効果で入れて、連隊司令部から完全に切り離された、横井さんの所属していた稲葉小隊が奥地へ逃げ込んだことを話しているが、次の私の発言は、それから何年かしてからの状態に思われる。
横井さんたちは、外へ出るときは、日々、敵に発見されないように注意深く足跡を消し、狩りはおもに夜間に行ったという話をした。
横井さんは何を食べていたのか?
最初のうちは、仲間と一緒に現地人の家畜を捕ったりしていたようだが、そのうち地下に身を隠してからは、野ネズミや毒ガマガエルやウナギなどが、主なタンパク源となったらしい、と答えた。
ジャングルで時間の経過の感覚はあったのか。
基本的に月の満ち欠けで図っていたようだ。27年後に発見されたとき、横井さんの太陰暦は、実際の暦より6か月進んでいた。
横井さんはとても知恵のある人だったようですね。
はい。横井さんはいろんな道具を作っていた。例えば、うなぎ捕りの竹籠。地下の隠れ家も竹で補強されていた。火を起こさないといけなかったし、その火を維持しなければならなかった。毒ガマガエルを調理する前に毒を抜くのも面倒な工程を経なければならなかった。カエルの皮から靴を作った。そういう日々の仕事で追われて、横井さんは将来についてあれこれぼんやり考えることはなかったらしい。
BBCはここで、横井さんが日本軍は10年に一回戦争をするという理論を信じ、10年経ったら日本軍が再びグアム島に上陸して救出してくれることを信じて待っていて、10年経っても、あと10年待てば日本軍は必ず勢力を盛り返して帰ってくると信じて待っていたというポイントを説明した。実は、私はこの点は、横井さんの講演テープを持って行って、その点の訳をメールしたのだが、ここでは音声テープは使わなかったようだ。
20年がたって、横井さんは、2人の仲間を失った。志知さんと中畠さん。1964年にグアム島を襲った巨大台風Karenの後、この2人を失って、横井さんは完全に独りになった。
ここでBBCは横井さんの現実を日本にいる家族は何も知らなかったが、母親が生きていて心配していたことに触れ、英語版横井伝から一節を読み上げる。
静かに涼しい風にあたっているとき、自分の年齢から考えても日本にいる母や継父はたぶんもう生きていないだろう。そうすると家はどうなっただろう。というようなことが頭をよぎることがあった。しかし、いくらそんなことを考えてもどうしようもないし、考えて心を悩ませても仕方ないので、極力考えないことにした、という一節である。
実は、横井さんが完全に孤独に過ごした最後の8年間は、英語版横井伝の出版に尽力していただいたオックスフォード大学のストックィン先生にとってはとくに印象深かった部分らしかったが、BBCは上の一節だけで、さりげなく、1972年に発見されて、2週間後に日本に帰国し、突然衆目注視の場に突き出された事実だけを淡々と述べ、日本のメディアの横井インタビューの実例が入る。
日本女性の声で「最後になりますけれど、横井さんがいつも大切にされているお言葉を、・・・」と東海ラジオ・岐阜放送ラジオの『人物スケッチ、ラジオ紳士録』のインタビュー音声テープが流れる。4月28日という日付はあるが、残念ながら年が分からない。
その中で横井さんは、「私が大事にしている言葉はね。いろいろありますよ・・・」と日本語が入り、英語が入って「前進するのみじゃないの?」という横井さんの肉声で終わる。
英語は、女性記者の「いつも大切にされているお言葉」を「原則(principle)」と訳して、「過去にこだわって前進しないのはいけない。この一日を精一杯よく生きるように努力すること」を意味する。
「いつも大切にされているお言葉」をどう訳すか、私はスタジオの中で、ふと原田さんにどう訳すか訊いてみて、原田さんは「哲学(philosophy)?」という案を出してくれたが、BBCの方は、最終的にプリンシプルで落ち着いたようだ。
横井さんの回答は、要するに横井さんが好きで書に書いていた「今日無事」の説明だと思い、「一生懸命精一杯生きた今日一日一日の積み重ねで一万日を生き抜いた」という趣旨の、帰国直後の日本語での横井庄一自伝『明日への道』の最後の部分から、私が考えてインタビュー後にBBCにメールしたものだ。
横井夫人にとっても、この東海ラジオ・岐阜放送ラジオのインタビューは数あるメディア出演の中でも、非常に良い思い出のものだと思われるが、BBCの扱い方としては、横井さんが帰国して突然スポットライトを浴びた、その一例としてであった。
私の声は、ここで、横井さんは講演は上手だったし、聴衆も興味津々があったけれども、横井さんは、まるで博物館の陳列品のように扱われている感じがしていた、という話をしている。これは、叔母が横井さんと最初に会ったときに横井さんが「アンタもワシを見に来たんかい?」と突っ返すように言ったという話から、そういう表現がいいだろうと思った次第。
ここでBBCは横井さんが帰国した年に6歳になった私は、横井さんについて親密な関係にあったわけではないけれども、元兵士は現代日本社会に適応するのがとても難しかったと証言している、と述べている。
私の声は、ここで、帰国当時、日本人の多くはその経済成長を誇らしく思っていたが、横井さんはそれほど感心せず、「石油の供給が止まったらどうするのですか?」と逆に質問したことに触れ、横井さんが一万円札を見て、日本の紙幣の価値が紙になった、無になったと嘆いた話にも触れています。
横井さんにいろいろ質問しましたかという問いかけに対しては、私はまだこどもだったので、横井さんは、ひどい戦争だったが、その苦労は話してわかるものではない、横井さんは、自分は単にかくれんぼが上手だっただけだというようなことを話していたという風に答えています。
その後、ランチンさんが、横井さんの晩年はパーキンソン氏病と闘い、1997年9月22日に亡くなり、横井さんがグアム島で作った道具類はうなぎ捕りの籠を含めてグアム島の小さな博物館に残り、その死後、甥の私が伝記を英語で2009年に出版したと淡々と述べています。

英語版横井伝について、その詳しい作成過程は横井さんの17回忌に寄せてブログに書きましたので、そちらの方を読んでください。

時間にしてわずか9分の番組でした。
ネット上の記事(News Magazine)も上に出ています。写真は、うなぎ捕りの籠や、ハイビスカスの木の繊維から布を織る手織りの織機などです。